キリスト教にあまり馴染みにのない、日本人の私には、言われてみると確かにと思うことがありましたので、本日は書いてみたいと思います。
考えてみると現在のAIブームとも関係するのではないかと考えております。
それは、
はじめに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神だった
というキリスト教の世界観です。
日本では、そこまで言葉についてキリスト教が広がっている西洋ほど相対的に重視していないと言われております。
言語の体系として、曖昧さが残るのが日本人の特徴と言われるぐらいですので、言葉では表現せず、阿吽の呼吸と言われるような言葉以外でコミュニケーションする文化を持っているのが日本ということになるのではないかと思います。
一方で、多民族国家でもある西洋では曖昧な言葉ではコミュニケーションが成立しない部分があり、自ずと言葉で明確に表現するということが徹底しているのかと思います。
AIブームとは、特に現在の生成系AIのインプットが言葉であるということを思うと今回のAIブームは神の再定義にも当たるような革命なのではないかと考えております。
今後はもしかしたら、
はじめに言葉(=AI)ありき、
つまり言葉(=AI)は神となるというようなことが言えるのかもしれないと思います。
ChatGPTなどの急激な進化は、新しい神を再定義している時代に差し掛かっているのかもしれない、故にどのように未来を人類が描くのか考える最後のタイミングであるというのは大袈裟ではないのかと考えたりしております。
株式会社クロス・デジタル・イノベーション 最高経営責任者CEO
藤井秀樹
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