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デジタル自由主義

デジタル自由主義のビジョンである、分権的で自律的な組織はどこまで可能なのかについて、本日は仮説を書いてみたいと思います。


なお、私はどちらかといえば、いいところを組み合わせて行きたい派なので極端な自由主義でもなければ、極端に全体主義(=管理主義)でもない中道派だと思います。


イーサリウムが生み出したスマートコントラクトにより、Defiと呼ばれる分散型の金融サービスは普及し始めておりますが、課題として、管理者が不在ということになっておりますので、マネーロンダリングと呼ばれる不正に対する対応が弱いです。


不正対策にも強くてかつ

自由度も高いという状態を実現する方法が必要とされている訳ですが、


人間が生み出したのがDefiである以上はどうしてもバグがあるということを私は思っております。(=元々システムエンジニアをしておりましたので、バグがないアプリを開発することは不可能と考えております。理由は人間は神ではなく完璧ではそもそもないという考え方(あと、途中で気が変わります、また社会の状況も変わりますので)を持っております。)


人間が神でない(かつ合理的でもない)としたら、結局私が主張しているいいとこ取りに答えを探していくべきだと考えております。


なので、Defiは規制するのではなく良いところ活かすべきだと考えております。

逆に、Defiにも中央集権的な管理は残念ながら必須と考えております。


中道的な道が答えだと現時点では考えておりますが、将来

もっとAIが進化して神のような存在(全知全能かつ色々な事象変化に対応できる)が登場したらまた前提が変わってくるのかもしれないと考えております。


つまりシンギュラリティと呼ばれるようなもう人間が理解できないレベルにAIがなる頃には前提は変わるかもしれないと想定しておりますが、


当面は管理者が存在するDefiという矛盾した考え方が答えかと思っております。



藤井秀樹

株式会社クロス・デジタル・イノベーション 最高経営責任者CEO


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