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性善説と性悪説

人間という存在は悪い存在なのか、はたまた完全な正しい存在なのかという、性悪説対性善説の2つの観点で分類してみたくなる議論は過去よくしてきました。


特に、企業経営などの仕組みを議論する時に、性悪説を前提に色々と設計すれば間違いないとするのか、ほとんど仕組みを構築せず性善説にするのかは私が関わってきた企業でよく議論になったことを記憶しております。

なお、私は少し違う切り口を提唱しており、性弱説を提唱しており、人間は状況により悪にも善にもなるが、本来弱い生き物であるということを前提に色々な制度を考えるのが良いのではないかと提案して参りました。


どうしても事業立ち上げ時などは、売上や利益が欲しくなるので、目先の利益を追求すると性悪説で制度を作りたくなり、余裕が出てくると性善説が入ってくる余地があるような議論をよくしたことを覚えております。


本来の人間としての強さを引き出すには、パーパスが必要と言われるようになり、企業としての目的がもっとも重要という議論も最近はされておりますが、組織として仕組みを作る時の現実として本日の論点は入ってくる気がしており、そう簡単には、なるほどという結論は出せない気がしております。

個人と企業の関わり方は、個人と社会の関わり方に影響していくテーマだと思いますので、とても重要な論点だと思いますが、そう簡単に答えは出ないと思います。

歴史に学び、学んだ内容をデジタルで表現することが可能時代がやってきておりますので、本日取り上げたような制度の設計というのはデジタルの時代においてイノベーションがついに起きるのかもしれないと考えたりしております。


人間の社会を眺めて、デジタルで制度を作って運用することが部分的ではありますが、現実ではありますが、それでも完全となるには、もう少し時間がかかると想定しております。


一方で、現在の技術の進歩を思うと、過去人類が悩んできた人類に対する制度設計にイノベーションが起きる可能性を感じております。


藤井秀樹

株式会社クロス・デジタル・イノベーション 最高経営責任者CEO


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